88のチェックポイントを通過しつつ、四国を疾風のごとく駆け抜けた3週間。
八十八番札所大窪寺は、一番札所霊山寺と同様、白装束の沢山の人で賑わっていました。
逆まわりで、ここからスタートする人や、途中の札所から始めている人もいますが、
多くの巡礼者にとってここがゴール、結願の場所です。
山中の厳かな寺院でありながら、だから華やいだ雰囲気があり、
笑顔いっぱいの「おめでとう」や「お疲れさま」の声で溢れています。
そして僕はそれに「ありがとう」を足したい気持ちになりました。
弘法大師さま、ありがとう。
無事に巡礼の旅を終えることができました。
得がたい何かが得られた気がします。
灯したローソクの、炎の揺らめき、
流れる、線香の細い一本の煙、
それらが何か自分の命の燃えている様に見えたとき、
自分の、最もコアな事実を理解しました。
今、生きているということ。
若い肉体に力はみなぎっているということ。
霊場を作った弘法大師さまは1200年前に亡くなっているが、
おお、偶然にもオレは、今、生きているじゃないか。
巡礼ができる。旅ができる。人に会える。食べ物がおいしい。
これまでの人生を思い返すと、
「満足」をはるかに越える数の「後悔」に潰れそうになる僕ですが、
第5レグを<八十八ヶ所霊場巡りの旅>にして良かった。
大事なことが、あの栗原のホームランボールのように、
しっかりと手中に納まったからです。
大師さまの本意が別なところにあったとて、誰に文句も言わせない、勝手に、僕は大師さまに感謝します。