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パンク修理もこれで最後だ

2009/02/10 [02:24]

いよいよだ、沖縄県。


奇しくも2度目の乗船となったフェリー「なみのうえ」が、
緑豊かな瀬底島をぐるりと回って、沖縄本島北部の本部港に入港しました。
その日ははもう夜だったので、港近くのバス停で浅く眠って夜明けを待ち、
まずは最北端の辺戸岬へ向かって走ります。


高い空、青くて白い海の色。亜熱帯らしい樹木草花の様態。石の家に石の瓦。
そして色んなシーサーが、家々の門扉の上で、ある者は勇ましく、ある者は可愛らしく、構えています。
僕に沖縄に来た確かな実感をもたらしたのは、そんなシーサーたちでした。


北へ行けば行くほど集落は小さくなっていき、人影も減っていきます。
最北端の辺戸岬だけはそれでも割と賑わっていましたが、
駐車場の車は、見たところ全て、レンタカーの「わ」ナンバーでした。
よく晴れて、気分も爽快、遠くに、鹿児島県の南端の与論島もばっちり見えました。
そういえば、西村京太郎のミステリーで、沖縄の手漕ぎの小舟「サバニ」に乗ってここから与論島に逃亡した殺人犯がいたなあ。
彼は今どうしてるだろうか。。。


特別天然記念物ヤンバルクイナを右に左に捜しながら、
その後はヤンバル(本島北部山林地帯)を走ります。
何しろ栗原のホームランボールも掴んでしまった、これはミラクルジャーニーですから、
本気で、ヤンバルクイナの赤色が目に飛び込む瞬間を心待ちにしました。
でも欲を出すと駄目なのですね。
ヤンバルクイナの絵が載った、野生動物飛び出し注意の標識がさんざんあるので、
否応なしに期待だけは高まっていきますが、ついに現れませんでした。
しかし代わりに、早くも開花した桜を見つけたので、(写真)
仕方ない、これでよしとしよう。



潮風を吸い、波音を聴きながら気分よく高速走行していた夕刻、
大宜味村の小集落で、
日が暮れるまでに名護に着きたかったのに、
折悪しく後輪がパンクしました。


毎回、パンクした瞬間は、アンラッキーに舌打ちしますが、
しかし僕はパンク修理の作業そのものは、いつの間にか嫌いではなくなっていました。
辺りを見回して、一番よさげな場所に自転車を倒し、
座り込んで、必要なものを全部広げて、その場で直します。


何でもない道で地べたに座り込むと、視線が犬の目の高さになって、
快いような、冴えたような、変な気持ちにだんだんなっていきます。
ふと、なぜオレはこんな見知らぬところで座っているのだ?と、
状況が面白おかしく思えてもきます。
すると今まで囚われていたものから解放されるような、
その日の目的地などもうどうでもいい、
名護に着かなくても、そこのバス停でもどこででもオレは寝れる、
行かなければならない場所など無いではないか、
という気になる。
「自由」の最も甘い部分、
最も人をワクワクとさせる部分の、肌ざわりが、
そんな時しかと掴めるのです。


自由と戯れ、自由とたたかう旅になる、と出発のときに言いました。
「この旅じたいが、長い長いパンク修理だったのではあるまいか…」
こんな言葉が頭に浮かび、
僕は、もうすんなりとこの旅を終わらせることが出来るということを、確信しました。


刻々と辺りが暗くなっていくなか、
降りだした弱い雨に打たれながら作業する僕の姿がよっぽど悲壮だったのか、
それとも沖縄の人がとくに優しいのか、
「パンクしたのか、大丈夫か?」
「大変ねえ。幾つ?」
「(車の)ライトで照らしててやろうか」
などと何人もの地元の方々が声をかけてくれました。
いい旅でした!皆さんのおかげです!
返答にならぬ返答を胸のなかで響かせて、僕は苦笑しました。




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