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15番目の月

2009/02/14 [23:36]

大学時代、ある時期からほとんど授業に出なくなった僕は、内心の有り余るエネルギーを全てヨットに傾けた。


丸3年取り組んできた競技。そして「引退」前の最後の大会が3月の中頃にある。
三回生から四回生に上がる時期だから、就職活動も始まっている。
僕には就職活動など無かったからいいが、仲間は大変だったはずだ。
日に日に説明会だか面接だかの予定が増えていくのに、週5や週6で練習が組まれ、
凍てつく寒さの2月の琵琶湖で、体を濡らして繰り返す苦行のような練習。
陸に揚がれば、部室で、暗くなるまで、いや暗くなっても、ミーティングが延々つづく。
僕は、就職活動組の倍は頑張ってクラブに貢献せねば、などと思って張り切っていた。
3月の大会そのものも良い思い出として残っているが、
僕には、仲間と駆け抜けたこの2月の日々の高揚感が絶対に忘れられない。


「祭りのあとの静けさが好き」と誰かが言っていた。
しかし繊細さに欠ける僕は、間違いなく、祭りの直前の昂ぶりこそが好きだ。
未知の領域へ、階段を一段一段駆け上がっていくような、
燃えるような思いのなかに生を実感する。
例えばオリンピックに出る人を僕が心から羨ましいと思うのは、
大会期間中に浴びるスポットライトではなく、結果としてのメダルとかでもなく、
何年も前からその試合に照準を合わせて、競技に没頭してきたはずの、彼らの日々にある。
選びに選ばれた者しか加われない祭りの、直前を駆ける高揚感…。
どれだけの興奮に支配されながら毎日をデザインするのだろう…。


ひどい口下手で無口な為にクールなどと言われることがあり、
自分でもそうなのだと愚かにも長く勘違いしていた僕だったが、
ヨットを通して、自分の中のこんな性質に気付いた。
クールなんてとんでもない、熱くなりたい性分なのだった。


あの2月、京都市内と琵琶湖を往復する毎日の車の中で、いつも「松任谷由実トリビュートアルバム」を聴いていた。
気分が高揚しているときほど音楽は身にしみるもので、
名曲ぞろいの素晴らしいアルバムに思えた。
鬼束ちひろが歌う「守ってあげたい」
原田知世の「CHINESE SOUP」
クレイジーケンバンドの「COBALT HOUR」
椎名林檎の「翳りゆく部屋」

そしてとりわけ僕の心に迫ったのは、
スピッツの「14番目の月」だ。


♪あなたの気持ちが読みきれないもどかしさ
 だから ときめくの
 愛の告白をしたら最後 そのとたん
 終わりが 見える
 Ah その先は言わないで
 つぎの夜から 欠ける満月より
 14番目の月が いちばん好き
 14番目の月が いちばん好き


この恋愛観が共感を呼ぶかは別として、「14番目の月」の比喩が見事としかいいようがない。
そして、アルバムが一周してこの曲のイントロが流れる度に、
これが、この毎日が、オレにとって14番目の月だ、と意識して、青臭くもめらめらと心を燃やすのだ。


一緒にアルバムを聞いていた者も含めて、仲間がみんな就職や進学をし、
新しい目標に向かって旅立っていくなか、
僕は、「燃え尽き症候群」ではないが、結果的に、
目標の無い生活に何年も身を置くことになった。
とにかく死なずにいればいつか何とかなる、ただそう信じるだけの暗闇の日々だった。


自分なりの「深夜特急」を描いてみようか。
そう思い始めたのは、いつごろだったろうか、もはや定かでないが、
ある意味必然的だったのかもしれない。
高校生の頃はじめて読んで抱いた「オレもいつかは」の気持ちを、ちょっと本気で掘り起こしてみようと思った。
日本でいい。その代わり自転車で。
そのアイデアが浮かんだ辺りで、気持ちは固まって、準備は加速していったのだった。



米軍嘉手納基地も程近い、沖縄県うるま市は具志川野外レクリエーションセンター。
喜屋武岬まで70キロ弱の距離にある、ここが、最後のキャンプ場所になった。
最後の夕食は、「豚と牡蠣とほうれん草の味噌キムチ鍋」。
隠岐で知り、長崎で買い足したあご(トビウオ)で出汁を取り、甘めの白味噌にキムチの切れ味を足して、
食材も奮発して丁寧に料理した鍋は、最高に美味しかった。
明日着る服も決め、今日できる全部の作業を終えて寝袋に入ったものの、
まだ時間が早いからか、明日のゴールに前夜から緊張しているのか、
意識は冴えるばかりなので、テントを出て散歩することにした。


いま、僕が見上げる空に、月はある。
今夜は満月、既に15番目の月が、
太陽のように僕のテントや自転車を照らして、
何をするのにも、どこに向かうにしろ、もうライトも要らないくらいである。




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