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隠岐の風 その8

2008/07/27 [20:01]

後鳥羽上皇の配流から約100年ののち、その先例にならって再び天皇が配流されてきた。後醍醐天皇である。


しかし、隠岐でそのまま客死した後鳥羽上皇と違って、
後醍醐天皇は1年で隠岐を脱出、旗揚げし、今度は幕府軍討伐に成功。いわゆる「建武の中興」を始めた。。。
その戦で活躍したのが足利尊氏で、
南北朝時代、室町幕府成立、と歴史は流れていくわけですね。


さて、1年しか隠岐に居なかったので、
後醍醐天皇の屋敷が、隠岐のどの島にあったのか、論争は続いているらしいのですが、
最有力は、ここ、西ノ島の黒木御所であります。
資料館「碧風館」には、現両陛下のお参りの写真もありました。
別府の港のすぐそばのちっちゃな山の上に何気なく屋敷跡はありました。
ここから島前の穏やかな内海を眺めながら、
策謀をめぐらせ、再起のタイミングを計っていたのですね。


この人らしい、感じがする歌が残っています。
 「ふく風のたより待つ間をかごとにて同じ入り江にとまる舟人」
 (風を口実に舟人が女のいる入り江にいつも入ってくる)


力が抜けた感じが逆にやり手っぽくて好きです。
きっと隠岐に居る間も勝算十分だと感じていたんだろうなあ。




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