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隠岐の風 その6

2008/07/25 [10:11]

隠岐汽船のフェリー「おき」に再び乗り込み、西郷港を出港。続いて向かうところは島前(どうぜん)です。


3つの島からなる隠岐・島前、
まずやってきたのは中ノ島、すなわち海士(あま)町です。
菱浦(ひしうら)港まで1時間ちょっと、
手に入れて間もない島前の観光パンフレットなど読んでいるとすぐに到着のアナウンスが流れました。


隠岐が平安時代から江戸時代にかけて、流刑(島流し)の島だったことは有名です。
なかでもビッグネームが、1221年、「承久の乱」で鎌倉幕府の打倒を図って失敗した後鳥羽上皇と、約100年後に同じことをした(?)後醍醐天皇です。


海士は、後鳥羽上皇が来島し、失意のうちに亡くなるまで19年間を過ごした島で、
上皇の屋敷跡も残っていました。
ここは上皇を祭神とする隠岐神社になっています。


和歌に通じて、中世屈指の歌人としても名を残した後鳥羽上皇の歌碑が、
隠岐神社はじめ島内そこここに立てられています。
幕府転覆という、あるいは無謀な企てを指揮した血気盛んな天皇。
流されたのちも、隠岐の風物を美しく詠み続けた和歌を愛する文化人。
ふたつの背反するイメージを持つ後鳥羽上皇、実際はどのような人物だったのでしょうか。


「たおやめの袖うちはらふむらさめにとるや早苗の声いそぐらむ」


写真は、島南端の集落、崎にある上皇が座った石。
船が着いたその日、宿を求めて従者が民家を訪ね回っている間、座っていたそうです。
天皇が民家に泊まるとは何たることか…。



comment (2)

ありがとうございます!名文なんてことないですが気合い入れて書いていきます。毎日暑いですが暑すぎて暑くなくなってきましたよ。

しゃぶ : 2008/07/26 [08:19]

暑い毎日! 島前のコメントもさすがしゃぶさん!名文です。隠岐人でも書けないな~勉強になります。大断崖の摩天崖も行ってらっしゃ~い!
暑さにトライ!ガッツのしゃぶさん!

中村の天然ボケ : 2008/07/25 [14:28]

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