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関ケ原の熱い一日

2008/05/26 [10:30]

1600年の9月15日、この場所で、戦国時代の終焉を告げる、さいごの一大決戦が繰り広げられた。。。関ケ原古戦場を訪ねました。


近江の国滋賀県と美濃の国岐阜県の境界は、
すぐ北の伊吹山を初め、1000M級の山々で遮られていて、
そのなかを、辺りで一番高い山ですら400M(南宮山、毛利が陣した)の関ケ原盆地が、隘路となって山々を貫いています。
関ケ原は、地理的にも近畿と東国とのちょうど接点なのだ。
東軍と西軍、天下を二分した両陣営の戦闘がここで行われたのは、
とても象徴的に思えます。


いまはのどかな田園風景が広がる関ケ原を、
現在の地図と、当時の各部隊の配置図を照らし合わせつつ、
巡ってきました。


どうしても関ケ原については西軍に肩入れして見てしまう。
小早川の寝返りも毛利の傍観も、
三成は予め知っていたという話も、両軍の布陣などを見ると説得力がある。
分が悪いと分かった上で豊臣家への「義を貫こうとした」のだという見方には、ダンディズムを刺激されます。
宇喜多、小西、大谷、平塚…。
兵数で明らかに劣りながらも、互角の戦いをして、
家康をやきもきさせたという奮闘ぶりは、
彼らが精神的に強く結び付いていたからのように思えます。
熱い奴は強い!というわけで。


西軍一の軍略家で、三成の盟友、大谷吉継の墓は
藤川台の彼の陣のすぐ傍にありました。
敵方の藤堂高虎の建てたものだそう。
もとは皆、秀吉の家臣ですから、
敵味方に別れて刀を抜き合うには、色々な思いもよぎったことだろう、と思うと、
墓前で僕は、切なくしかしどこか甘美な気持ちになりました。


昨夜は夢を見ました。
僕は関ケ原に参戦しています。
何故か、蒲生郷舎という三成配下の(地味な)武将の下で笹尾山で戦っています。
やはり、熱い気持ちになって槍を突いていました。



comment (3)

関が原の戦いは・・・
1600年!
(なかやまきんにくんのテンションで)

イナヴァ : 2008/05/27 [21:23]

熱い奴は強い!
いい言葉!

マスター : 2008/05/26 [21:53]

ほとんどブログに出てきた人物を知らんわ、しげはよく知ってるな。

関が原の戦いで唯一覚えているのは、わずか数時間で終わった戦いであることぐらいやわ。


歴史が残したものは、たとえ数時間でも何百年と語り継がれる事があるんやな。

raul : 2008/05/26 [21:26]

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