「今日は…、出るかもしれんでな…。」
滑川(なめりかわ)の道の駅でボンヤリしていた親爺さんの一言で、
今日の僕の走行プランは全面的に改まりました。
富山湾が、稀に蜃気楼が出る海であることは、
ニュースなんかで聞いて何となく知ってはいたが、
僕の行程に合わせて起こってなどくれないだろう、と、
その親爺さんと話すまで、蜃気楼は<完全ノーマーク>でした。
だが親爺さんは遠い目をして話すのです。
わしの子供の頃はよう出たんでな、
空気もきれかったしな、
出たら、校内放送がかかるんや、
みなで、窓にへばりついてな…。
これは、待つしかない!
強運を証明するしかない!
親爺さんに教えられたとおり、
より確率のいいという、東隣の魚津(うおづ)へ移動することに。
道すがら、地元の方々に聞いてみると、
確かに条件は揃っているらしいのです。
(5月、快晴、無風から北寄りの超微風、数日来フェーン現象気味…)
しかし、あるおばちゃんは、
「条件はね…。でも、私もこっちにヨメに来てから、見たことないのよね。」
という。そんなに稀なのか!
人々の声に一喜一憂しながら魚津市に入ると、
海岸ではあちこちで、
望遠レンズのカメラマンが、
沖を眺めて来たるべきその時を待っていました。
その名も海の駅「蜃気楼」という休憩施設で、僕も、蜃気楼待ち人の群れに加わりました。
ある人はジッと沖を見つめ続け、
ある人は釣りをしながら、ある人は本を読みつつ、
ある人はレストランで食事をして、
ただ蜃気楼を待つ。
海の駅「蜃気楼」で働く人だけは大忙しでしたが、
我々はただのんびりと、
思い思いの場所で思い思いの過ごし方をして、
出現を待っていました。
…
午後になり、日が傾きだし、条件が揃わなくなってきた頃、
ようやく僕は気付いたのです。
「これ、たとえ見れなくても成立するレジャーなんだ!」
何かを待つこと、何かを待てることの幸せ。
戦時中誰がこんな休日を過ごしていたろう、僕はまたしても、平和な時代とこの贅沢な自分の環境に感謝をしました。
富山湾では見れなかったけれど、九州、八代のいわゆる<不知火>も蜃気楼の一種だという。
次のチャンスを、気長に、待ちたいと思います。
comment (3)
我ながら、出なかった蜃気楼でこんな長文書いてしまうとは。
でも実は、待ってる間に俺は、これの大半を書いてたというわけや。
オレ、海獣が出るんかと思った。
4m超の巨大うなぎとか。
この日、おじいちゃんにだけ、蜃気楼見えたんちゃうかな(笑)
後半にはいってからの旅は
まさに一日一日が短編ストーリーのよう。
例えるなら「MASTERキートン」
最初幽霊の話かと思った…。