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倶利伽羅峠の戦い

2008/04/28 [21:50]

1183年、天下を二分した源平の合戦の緒戦が、ここ倶利伽羅峠(くりからとうげ)でありました。


源義仲VS平惟盛。
10万の惟盛軍に対し、義仲軍は4万、
数では劣った義仲軍だったが、
牛の角に松明をくくり付け、野営中の惟盛軍を襲わせる奇策(火牛の計)を成功させ大勝。


というのが倶利伽羅峠の戦いのあらましで、
平家落日の端緒となった戦です。
勢いに乗る義仲は、そのまま京都まで攻め上がり、都から平家を追い出す訳ですね。
そんな破竹の朝日将軍(木曽から来たから)でしたが、
程なくして宇治川であっさり討たれます。
いとこの義経によって。
その義経が今度は兄の頼朝に討たれることを考えると、
血で血を洗う覇権争いの厳しさに、切なさを感じますね。


さて、僕ですが、
この、石川・富山県境の倶利伽羅峠を、一人で戦ってきました。
頂上の倶利伽羅不動尊で、さくら祭りなるものも丁度開かれていて、
これは行くしかない。と。
前輪が浮きかける勾配のつづら折りの坂を、
たまに人に励まされながら頑張って上り、
お参りして来ました。
写真は、
惟盛軍が開いた軍議のテーブル?が残っていて、そこの石碑の中の一文字です。
幸せな戦い…。
平和な時代に感謝です。



comment (2)

ありがとう、覚えとくわ。でもいかにも山奥っぽい匂いがするな…。

しゃぶ : 2008/05/01 [19:39]

じゃあついでに、もし和歌山に行ったら補陀洛山寺を訪れてみては。
補陀洛渡海(極楽浄土を目指して海に漕ぎ出していく、いわば自殺行為)をした僧の名前のリストに惟盛の名前を加えた碑があるらしい。入水した惟盛を哀れに思って後の人が加えたのだろうとか。

惟盛と言えば昔から「弱虫」の代名詞で通っているけど、名前があるのを見たとき、武将に向かずに運命に翻弄された貴公子の末路にこみ上げてくるものがあった・・と70代の方が最近語ってくれました。感慨深そうにしゃべらはるんで、ちょっと行きたくなった。

しなもん : 2008/04/29 [23:35]

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