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武生慕情(後編)

2008/03/14 [23:50]

宗谷岬からずっと行動を共にしてきた大事な持ち物に、 TIMEXの腕時計がある。 毎日汗まみれになるから、風呂にも一緒に入って洗ったり、 暗闇のテントの中で、すぐに在処が分かるように付けたまま寝たりしていて、 外しているとむしろ不安なぐらい、 最重要な道具のひとつとして、文字どおり旅に帯同してくれていた。 しかしもう何年も使い続けている品なので、 バンドがダメになりかけて若干使いづらくなってきていて、 福井へは別のを持ってきて、この半年間はそちらを使っていた。



唐突だが、金本知憲が試合を休まない理由のひとつは、
休んだときに代わりに出た選手が、
勢いに乗ってあれよあれよとそのままレギュラーを掴んでしまう、
その可能性を削ぐためだ。と聞いたことがある。
自分の仕事を自分で死守する、見事なプロ根性だが、
逆にいえば、
あっさりと次に取って代わるかもしれぬ「レギュラー」の不安定さいい加減さを、
彼はよく知っているのだとも言える。


ある日、
武生の商店街の外れにある古びた時計屋と、
大阪の自宅のどっかにあるほっといても治らない手負いのTIMEXと、
金本が、
僕の中で結びついた。
今使っている新しい時計も使い慣れてきたけど、
バンドさえ替えればTIMEXの方がいいんじゃないか。と。
ここらで真のレギュラーを召喚しようかな。と。
一旦そう思うとどうしてもそうしたくなって、
先週大阪から持って戻ってきて、今日、件の時計屋へ赴いた。


親爺は案の定、何度もこんにちはと呼び掛けなくては奥から出てこなかったが、
用件を告げると、老眼鏡を取出して、すぐさま作業に取り掛かった。
しかしそれがなかなか終わらないので、
傍らの新聞を借りて僕は読んでいたわけだが、
難工事(…?)がようやくつつがなく終わったのは実に40分ほども後だった。


壁のボードを見るかぎり、バンド交換の修理工賃は1000円〜の筈だったが、
長く待たせたからだと思う、親爺は工賃を取らなかった。
詫びるわけでなく言い訳するでもなく、ただ微笑んで時計を僕に返した。
店を出て、生まれ変わったTIMEXを半年ぶりに腕にはめながら、
僕は親爺の気持ちを考えていた。
作業机に向かう親爺の丸まった背中が語ることは、
時計屋のプロ根性だったような気がする。
きっと金を取るわけにはいかなかったのだ。


奥のひときわ大きい柱時計に、値札は付いていなかった。
♪大きなのっぽの古時計
♪お爺さんの時計
♪今は、もう…


いや、まだまだ動き続ける、山本時計店の柱時計である。



comment (1)

レギュラーは小さいTAIMEX?
別のも(思い入れは無くとも)素敵なTAIMEX?

akkon : 2008/03/17 [01:07]

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