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使者として

2008/11/23 [21:30]

沢木耕太郎「深夜特急」に触発されて始まっている僕の旅。


その中に「使者として」と題されたある一章があって、
トルコ或いはイタリアで、センチメンタルに展開していく物語に、毎度酔わされます。
自分はまったく知らない相手に、よく知った人物からの手紙を一通届ける。
無意味な移動のなかに意味をさがすのが旅だとすれば、
郵便で電話でメールで、一撃で決着するはずの一通の手紙を遠路はるばる持っていくなんて、
旅にふさわしい愚かさ加減だと思いませんか?


ということで、
僕は、盟友OMちゃんの手紙を、
数人の彼女の九州の恩人のもとへ届けようと、只今預かり持って走っているわけです。



9月、宮崎市郊外、
そこから10キロほど先の道の駅「フェニックス」まで行って夜を明かそうとしていたOMちゃんだったが、
辺りは暗くなり、さらに道に迷ってしまった。
田舎の夜は、都市生活者の度胆を抜くほど、本当に暗い。
焦るOMちゃんを助けたのが、Iさんだった。
(道の駅ゆうても、外じゃし、女の子ひとりであげなとこに…しかも峠の向こうじゃし…)と思ったIさんは
彼女を自宅に招き、急きょ宿を提供してやることにした。
さらには何とその後、
博多ではIさん娘さん宅、北九州ではIさん姪御さん宅にも、
Iさんからの連絡でOMちゃんはお世話になり、
彼女にとって、Iさん夫婦は恩人として忘れられない人になっていたのでした。



Iさんは自宅で板金工場を経営しておられるということで、
その場所を探すのは僕にとって容易でした。
住所てきに近いところに行って人に聞けばすぐ分かるだろう、という気持ちで走っていると、
通行人を見つける前にI板金工場の看板を見つけてしまいました。
Iさんは、「町工場の人の好いおやっさん」といった感じの、優しさ満開の方で、
「何ならあなたも泊まっていけばええです」と、嬉しいことを何度も言ってくれ、
僕は感激しました。


僕はまたまだ先に進むつもりだったので、
手紙と写真を確かにお渡しし、Iさん宅を辞してまた走ります。
道の駅「フェニックス」を「ふーむ、ここかあ!」の気分で通りすぎ、
日南海岸を明るい気持ちで疾走しました。(写真)
いい人といい出会いをした後はペダルが軽い。人間は不思議です。


感激にはしかしまだ続きがありました。
後日、OMちゃんに聞いたところ、
ちょうど外出中で会えなかったIさんの奥さんが、
「今日は寒い日だからコーヒーの一杯でも」と、
「フェニックス」まで僕を追いかけてきてくれてたんだそうです。
会ったこともない僕に対して示してくれる、この人のこの優しさに、僕はどう応えたらいいのでしょう…!




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